大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

山口地方裁判所下関支部 昭和54年(ワ)79号 判決 1989年2月20日

主文

一  原告両名の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告両名の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告両名の請求の趣旨

1  被告両名は各自原告冨嶋茂に対し、二〇三五万九九三三円及びこれに対する昭和五一年四月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに、原告冨嶋克子に対し、三二二三万九八六六円及びこれに対する昭和五一年四月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告両名の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告両名の答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  原告両名の請求原因

1  当事者

原告冨嶋茂(以下単に「原告茂」という。)は、亡冨嶋スエ子(大正七年三月一三日生。以下単に「スエ子」という。)の夫であり、原告冨嶋克子(以下単に「原告克子」という。)はスエ子の子である。

被告西川良平(以下単に「被告西川という。)は、「ニシカワ医院」を、被告蒲池真澄(以下単に「被告蒲池」という。)は「カマチ病院」をそれぞれ下関市内で開業している医師である。

2  診療経過

(一) スエ子は、昭和五一年三月一七日、三八度ないし三九度の発熱があったため、被告西川の往診を受け、その後引続き同年四月一四日まで同被告による通院もしくは往診による治療を受けた。

この間、被告西川は、スエ子に対し、別紙「投薬状況一覧表」記載のとおり薬剤を投与した。

(二) ところで、スエ子には、同年四月一一日頃より皮膚に発疹が生じ始め、同月一四日頃には背中全面に瀰漫性に赤色調の発疹が生じ、又両腕には水疱形成を伴った小指頭大ないし母指頭大の発疹がみられ、更に顔面にも同様の発疹が出現した。この発疹はその後も継続し、スエ子が同月一六日国立下関病院(以下「国立病院」という。)に入院した後も消失することはなかった。

(三) その後、スエ子及び原告らは入院を希望し、被告西川の紹介により、同年四月一四日午後、被告蒲池の経営するカマチ病院へ入院し、同月一六日国立病院へ転院するまでの間、同医師の治療を受けた。

この間、被告蒲池はスエ子に対し、別紙「投薬状況一覧表」記載のとおり薬剤を投与した。

(四) スエ子及び原告らは、被告蒲池のもとでも納得のゆく様な診療がなされなかったため、不安を覚え、同被告に対し国立病院への受診を申し出たところ、同被告は確固たる根拠もなく反対したが、結局スエ子及び原告らの再三の申し出に仕方なく応じ、非定型風疹との診断のもとに国立病院を紹介し、スエ子は同月一六日右病院へ転院した。

(五) スエ子は、右以降同病院にて治療を受けたが、同年四月二三日同病院で顆粒球減少症による敗血症に基づく内毒素性ショックにより死亡した。

3  被告両名の責任

(一) 債務不履行責任

(1) 診療契約の締結

スエ子は、昭和五一年三月一七日、被告西川との間で、同年四月一四日には被告蒲池との間で、それぞれスエ子の疾病の原因ないし病名を的確に診断したうえ、その症状に応じて診療行為をなすことを内容とする診療契約(準委任契約)を締結した。

(2) 被告西川の責任

(イ) 過剰診療

被告西川は、スエ子を単なる風疹と診断していたのであれば、最初から抗生物質を連続的に投与する必要はないし、又、単なるウイルス性の風邪であると診断していたのであれば、解熱剤や抗ヒスタミン剤などによる一般的治療をなし症状の推移を見れば足りるにもかかわらず、薬剤の投与にあたっての副作用等を警戒し、適正な投薬をなすべき注意義務に違反し、昭和五一年三月一七日から同年四月一四日までの約一か月間、別紙「投薬状況一覧表」記載のとおり顆粒球減少症などの副作用を起こしうる抗生物質を当初から連続的に投与しているのであって、これによりスエ子は顆粒球減少症に罹患して死亡した。

(ロ) 臨床検査義務違反

被告西川は、前記のとおり、顆粒球減少症の副作用がある抗生物質をスエ子に投与しており、とりわけ、昭和五一年三月一七日から約一か月間もスエ子の熱、咽頭痛等がさしたる病状の回復もみられなかったのであるから、右薬剤による副作用が生じていないかどうかを事後的に血液検査等の臨床検査をして確かめるべき義務があるのに、かかる検査をすることなく漫然と投薬を続けたため、スエ子を顆粒球減少症に罹患せしめ死亡させた。

(ハ) 発疹診断の過誤

被告西川は、少なくとも昭和五一年四月一四日には、スエ子に薬疹等の薬剤アレルギーを認め、しかもそれまでの抗生物質による治療にもかかわらず、スエ子には咽頭痛など上気道感染症の臨床所見が改善されず、又、三八度程度の発熱が続くなどの症状が見られたのであるから、スエ子が顆粒球減少症に罹患することを予見し、これに対処する義務があった。

しかるに、被告西川は、右義務に違反し、風疹の典型的な症状である後頸部のリンパ腺のはれなどの症状が見られず、その他合理的な理由もないのに、スエ子の病名を風疹と誤診し、顆粒球減少症と診断しなかったため、事後の迅速かつ的確な診療措置を採ることができず、スエ子を死亡するに至らしめた。

(ニ) 顆粒球減少症罹患予見を前提とする注意義務違反

被告西川は、スエ子の皮膚に発疹が生じていた昭和五一年四月一四日には右発疹が薬疹であること、すなわち、薬剤アレルギーが発生したことを知っており〔乙第二号証の一の「PCチアンフェニコール使用のための医薬品による皮疹との診断(西川先生)にて」なる記載〕、しかも、それまでの抗生物質による治療にもかかわらず、咽頭痛など上気道感染症の臨床所見が改善されず、又、三八度程度の発熱が続くなどの症状が認められたのであるから、同日の時点において、スエ子に顆粒球減少症が生じていることを予見できたはずであり、これを放置すれば、いずれ敗血症を起こし死亡する可能性が大きいことから、次のような注意義務があった。

<1> 検査義務

顆粒球減少症の発症の有無については、末梢血中の白血球数の算定という極めて一般的で容易に行なわれる検査で十分に予測でき、また、白血球分画を調べれば確実に診断することができ、それらヘモグラム上の異常の有無を確認すべき義務がある。

<2> 適切な治療義務

顆粒球減少症が生じていれば、これを生じさせた薬剤の投与を即時中止し、他の安全な抗生物質の投与に切り替えるとともに、ステロイド剤の投与、白血球成分の輸血及び白血球を増やす薬剤などを投与すべきである。

<3> 転送義務

もし、被告西川において顆粒球減少症を治療するに際し、適切な治療体制が備わっていなかったり、治療が充分に出来ないのであれば、直ちにしかるべき治療体制の備わった基幹病院に転送すべきである。

<4> 報告義務

患者を転送する場合には転送先の医師に対し、それまでの診療経過、特に薬疹が生じた理由、症状等を詳細に報告し、転送先の医師の治療方針の資料を提供すべき義務がある。

<5> 説明義務

医師は患者及びその家族に対し、病名、治療方針等を説明する義務、少なくとも虚偽の事実を説明してはならない義務がある。

しかるに、被告西川は、右注意義務をいずれも怠り、スエ子の顆粒球減少症についての検査、これに対する適切な治療をなさず、又、適切な基幹病院へ転送せずに、外科専門の被告蒲池に転送し、その際、スエ子の治療状況を十分報告しなかった。

さらに、被告西川は、スエ子に治療ミスによる薬疹が生じていることを隠蔽するため、国立病院への転送を希望するスエ子や原告らに対し、単なる風疹ですぐ治るから転院の必要はないなどと虚偽の説明をした。

その結果、スエ子は顆粒球減少症について適切な治療機会を得ることができずに死亡した。

(3) 被告蒲池の責任

(イ) 発疹診断の過誤

被告蒲池は、被告西川からスエ子の治療を依頼された際、薬疹が生じている旨報告を受けているのであるから(前記乙第二号証の一の記載)、スエ子に顆粒球減少症が生じていることを予見し、これに対処する注意義務があった。

しかるに、被告蒲池は、右義務に違反し、風疹の典型的症状である後頸部のリンパ腺のはれなどの症状が見られず、その他合理的な理由がないのにスエ子の病名を風疹と誤診し、顆粒球減少症と診断しなかったため、事後の迅速かつ的確な診療措置を採ることができず、スエ子を死亡するに至らしめた。

(ロ) 臨床検査義務違反

被告蒲池は、被告西川よりスエ子に薬疹が生じている旨告げられているのであるから、被告西川からスエ子に対するこれまでの治療経過を詳細に聴取し、スエ子にも問診をなしたうえ、直ちに顆粒球減少症の有無についての臨床検査をなすべき注意義務があるのに、これを怠り、末梢血中の赤血球数、白血球数を算定したのみで顆粒球減少症が予想される場合に当然なすべき白血球分画等の検査を怠ったため、同症と診断することができず、事後の迅速かつ的確な診療措置を採ることができずにスエ子を死亡させた。

(ハ) 適切な治療義務違反

被告蒲池は、スエ子に薬疹が生じており、末梢血検査において、顆粒球減少症の所見が認められたのであるから、これを発生させる薬剤の投与を即時中止すべき注意義務があるのに、これを怠り、顆粒球減少症の副作用がある抗生物質のリンコシンを大量(常用量は一日六〇〇ないし一二〇〇ミリグラムであるのに対し、一日二四〇〇ミリグラム)かつ連続的に投与したため、スエ子の顆粒球減少症の病状を一層悪化させ死亡させた。

(ニ) 転送義務違反

被告蒲池は、スエ子に薬疹が生じており、しかも症状が極めて重篤であると認めていたのであるから、外科医である自らが適切な治療をなし得ないのであれば、直ちに基幹病院に転送すべき注意義務があるのにこれを怠り、スエ子を死亡するに至らしめた。

(ホ) 説明義務違反

被告蒲池は、スエ子の発疹が薬疹であることを知っており、従って、スエ子が顆粒球減少症になっていることを知っていたか、少なくとも疑いを持っていたにもかかわらず、国立病院への転院を希望するスエ子及び原告らに対し、単なる風疹ですぐ治るから転院の必要はないなどと虚偽の説明をしたため、スエ子は適切な治療機会を得ることができず死亡した。

(二) 不法行為責任

仮に、債務不履行責任が認められないとしても、被告両名に前記注意義務違反があることは明らかであるから、被告両名は共同不法行為責任を負うべきである。

4  損害

(一) スエ子の逸失利益 三四二七万九八〇〇円

(1) スエ子は、死亡当時、株式会社富嶋商事(以下「富嶋商事」という。)の取締役をしており、死亡直前の昭和五一年一月ないし三月の報酬は一か月三〇万円である。

また、スエ子は、取締役に対する特別賞与として富嶋商事から年一〇五万円を受領できたはずである。

そうすると、スエ子の死亡直前の一か月の収入は三八万七五〇〇円(300,000×12+1,050,000)×

<省略>

=387,500となる。

(2) スエ子の富嶋商事での業務は、窓口における接客、金利計算等が主であって、さしたる肉体的労働力を必要としないから、七〇歳までは就労可能と考えるべきであり、スエ子は死亡当時五八歳であったから就労可能年数は一二年となる。

従って、新ホフマン係数は、九・二一五である。

(3) 原告茂及び同克子も富嶋商事の取締役として収入を得ているので生活費控除は、収入の二割と考えるべきである。

(4) 以上によれば、スエ子の逸失利益は三四二七万九八〇〇円{(387,500×12)×

<省略>

×9.215=34,279,800}となる。

(二) 慰謝料 スエ子七〇〇万円、原告茂四〇〇万円、原告克子二〇〇万円

(1) スエ子は、昭和二七年から夫である原告茂と共に、質屋業という極めて神経をすり減らす仕事に従事し、今日の富嶋商事を育て、ようやく安定した生活を得た矢先に本件事故により死亡したものである。

しかも、スエ子は、昭和五一年からは富嶋商事に宝石部門を設け、婦人層に限定された顧客に対する信用などで重要な役割をになっていた。

また、スエ子は原告茂の妻として、原告克子の母として富嶋家にとって精神的にも経済的にも一家の支柱であった。

(2) 以上の事情を考慮すれば、慰謝料は次の額が相当である。

(イ) スエ子  七〇〇万円

(ロ) 原告茂  四〇〇万円

(ハ) 原告克子 二〇〇万円

(三) 葬儀費用 一〇〇万円(但し、内金)

原告茂は、スエ子の葬儀費用として次のとおり合計二二九万円を出捐したが、その内一〇〇万円を請求する。

(イ) 通夜   七万五〇〇〇円

(ロ) 祭壇   七五万円

(ハ) 火葬   一〇〇〇円

(ニ) 回向   五〇万円

(ホ) 墓石   九六万四〇〇〇円

(四) 弁護士費用  原告茂一六〇万円、原告克子二七二万円

原告茂及び同克子は、原告両名訴訟代理人に本件訴訟の提起、追行を委任し、その報酬として、原告茂は一六〇万円、原告克子は二七二万円を支払う旨約して同額の損害を被った。

(五) 相続

スエ子の損害賠償請求権(前記(一)、(二)の損害額合計四一二七万九八〇〇円)については、昭和五一年四月二三日の同人の死亡により、その相続人である原告茂(配偶者)がその三分の一、原告克子(子)がその三分の二をそれぞれ法定相続した。

(1) 原告茂 一三七五万九九三三円(41,279,800×

<省略>

=13,759,933円未満切捨て)

(2) 原告克子 二七五一万九八六六円(41,279,800×

<省略>

=27,519,866円未満切捨て)

5  結論

よって、原告両名は、被告両名各自に対し、主位的には、債務不履行、予備的には不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告茂は二〇三五万九九三三円(13,759,933+4,000,000+1,000,000+1,600,000=20,359,933)、原告克子は三二二三万九八六六円(27,519,866+2,000,000+2,720,000=32,239,866)及び右各金員につき損害発生の日である昭和五一年四月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告両名の認否及び主張

1  請求原因第1項の事実は認める。

同第2項(一)の事実は認める。

同項(二)の事実は否認する。被告西川はスエ子を当初気管支炎、咽頭炎と診断し、加療していたのであり、発疹の訴えは昭和五一年四月一二日、同月一三日の診察の際にはなく、同月一四日に至って初めて発見した。しかもその発疹はほぼ全身に存したが、「赤色調」ではなく、「ピンク色」であり、「小指頭大乃至母指頭大」ではなく「粟粒大」であり、水疱形成は全くなかった。

同項(三)の事実は、スエ子らが転院を希望した結果、被告蒲池のもとへ入院したとの部分を除き認める。被告西川は、昭和五一年三月一七日、スエ子をインフルエンザ由来の上気道感染(気管支炎、咽頭炎)と診断し、治療を続けていたが、同年四月一四日に至って同女がかゆみを訴え、発疹の発生をみたので当時流行中の風疹と診断し、被告西川からすすんで検査のため入院をすすめたものである。ところが、国立病院等が満床であったため、同病院への入院までの暫定的措置として被告蒲池のカマチ病院を紹介し、被告蒲池はこれを了解してあくまでも国立病院への入院までの暫定的措置としてスエ子を受け入れたものである。

同項(四)の事実のうち、被告蒲池がスエ子の病状を非定型風疹と診断していたこと、スエ子が四月一六日国立病院へ転院したことは認め、その余の事実は否認ないし知らない。被告蒲池は外科医であり、又、同病院は救急病院であるうえに、スエ子は国立病院へ入院するまでの暫定的措置として受入れたのであるから、内科の患者であるスエ子が国立病院へ転院することに反対することはありえない。

同項(五)の事実は認める。

同第3項(一)(1)の事実は認める。

同項(一)(2)、(3)の事実は否認する。

同項(二)の事実は否認する。

同第4項の事実は知らない。

同第5項は争う。

2  診療経過について

(一) スエ子は、かねてからしばしば被告西川の診療を受けており、昭和五一年に入ってからは、二月一九日、次いで三月一七日に診療を受け、以後同年四月一五日まで合計二五回にわたり、診察、治療、投薬を受けた。

(二) 被告西川は、同年三月一七日往診の際、スエ子が発熱し、咽頭痛、咳という各症状を訴えたため、当時猖獗を極めていたインフルエンザ由来の気管支炎、咽頭炎と診断し、同月二二日には同女が腰痛も訴えたので、それぞれ必要な治療投薬を行なった。

被告西川は、その間、スエ子が外国旅行からの帰国直後であるとの事情のため、同女に対し、再三にわたり念のため総合病院へ検査入院するよう勧めたが、同女は言を左右にしてこれに応じなかった。

(三) 被告西川は、同年四月一二日、一三日とスエ子を診察したが、その際には、同女より発疹の訴えはなく、同月一四日の診察の際初めてスエ子に発疹を認めた。右発疹はスエ子のほぼ全身に存したが、それはピンク色、粟粒大のもので水疱形成も全く認められず、赤色調、小指頭大乃至母指頭大、水疱形成を伴うという薬疹の特徴とは相違していた。

(四) 被告西川は、右発疹を診察した結果、湿疹、薬疹、じんま疹、風疹の何れかを疑い、薬疹を慮ってそれまで使用していた抗生物質の投与を止め、抗ヒスタミン剤、副腎皮質ホルモンを投与するなど所要の治療、投薬をしたうえ、総合病院への検査入院を勧め、スエ子の依頼によって国立病院への添書を作成して同女に交付したが、同女が即日入院を希望したのに対し、総合病院に空床が無かったため、やむなく国立病院への入院までの暫定的措置として被告蒲池のカマチ病院を紹介し、即日入院させた。

(五) 被告蒲池は、昭和五一年四月一四日午後二時頃、被告西川より電話で国立病院に入院を希望する患者(スエ子)があり、内科的疾患で急患でもないが、国立病院に入院できるまで入院させてほしい旨の依頼を受け、これを承諾した。

(六) 被告蒲池は、同日午後四時二〇分頃、入院のため来院したスエ子を診察したところ、ほぼ全身にピンク色の粟粒大の発疹を認めたため、当時下関市及びその周辺において風疹が流行していたこともあり、これを非定型的風疹と診断し、併せて感染症の存在も疑われたため、リンコシンの注射をしたうえ、スエ子に対し、「国立病院のベッドが空くまでお預り致します。」と告げて入院させた。

なお、当時のスエ子の状態は次のとおりである。

(1) 入院時の一般状態  顔色普通、発疹(全身にあり)

(2) 主訴        全身の掻痒感なし、時々動悸あり、少々イガイガした感じ

(3) 体温        三五度五分

(4) 脈拍        一分間に八二回、整脈

(5) 血圧        右一二四mmHg

左七〇mmHg

(6) 食欲        不良

(7) 栄養状態      良

(8) 偏食        有

(9) 身長        一五八センチメートル

(10) 体重       六八キログラム

(七) 被告蒲池は、スエ子に対し、同日午後四時三〇分、入院の際一般的に行なわれる肝機能、血計及び血沈の各検査をなし、同日午後七時、翌一五日午前零時、午前六時にそれぞれリンコシンを注射した。

この間、看護婦は、一四日午後九時、翌一五日午前零時及び午前三時にスエ子を巡回し、翌一五日午前七時、スエ子の血圧、脈拍数及び体温を測定したが、血圧は一四二から九〇、脈拍数は一分間に七二、体温は三六度三分であった。

(八) 被告蒲池は、一五日午前九時、スエ子を回診したが、前日と症状に特に変化がなかったため、前日同様看護婦に対し、リンコシン注射をし、その他一般的検査として胸部のX線写真の撮影及びECD(心電図)を指示した。

(九) 被告蒲池の指示により、スエ子に対し、同日午前一一時四五分、胸部X線写真撮影、同日正午にリンコシンの注射、同日午後二時四〇分、ECD、同日午後六時、リンコシンの注射、翌一六日午前六時リンコシンの注射がそれぞれなされた。

なお、この間看護婦は、一五日午後九時、翌一六日午前零時、同日午前三時と巡回しているが、スエ子に特に症状の変化はなかった。

(一〇) 被告西川は、一五日午後零時過ぎ頃、カマチ病院にスエ子を往診したが、その際、被告蒲池も同伴した。

被告西川は、スエ子の付添人の家族を病室より出させ、同女を診察した。

(一一) 看護婦は、一六日午前六時三〇分、スエ子の血圧、脈拍数及び体温を測定したが、血圧は一二四から七〇、脈拍数は一分間に七四、体温は三六度七分であり、特に異常はなかった。

(一二) 被告蒲池は、同日午前八時四〇分頃、通例の院内回診のため、他の病室へ赴こうとして階段を登る途中、退院のため病院を出ようとているスエ子及びその家族に出会った。スエ子らの言によるとこれから国立病院へ移るとのことであった。

被告蒲池は、主治医である同人に何ら相談のない突然の退院であったが、もともとスエ子は内科の患者であり、国立病院へ入院する予定であったところ、同病院が満床のため、とりあえず被告蒲池のもとに入院したのであるから、別に反対する理由もないのでとがめもせずにそのまま同日午前九時、スエ子を退院させた。

その後、被告蒲池は、家族の依頼により国立病院宛の紹介状を手渡した。

3  被告両名の責任について

(一) 被告西川の責任について

前記のとおり、被告西川の診療は適切なものであって、過剰診療の事実はなく、むしろ控え目な抗生物質の投与にとどまり、又、総合病院への検査入院を勧めているのであって、臨床検査義務違反も存しない。

被告西川は、前記のとおり、昭和五一年四月一四日の時点において、風疹と確定的に診断したわけではないが、発疹を生じる疾病は数多くあり、昭和五一年四月当時、下関市及びその周辺において風疹が猖獗を極めていたこと、国立病院の村上医師がスエ子を診察したのは被告西川の診察より丸二日後で症状が進展していたと考えられることなどを考慮すれば、被告西川が四月一四日にスエ子の病名を非定型性の風疹と診断したとしても過失はない。

また、被告西川は、スエ子を薬疹ないし顆粒球減少症(なお、薬疹と顆粒球減少症との間に必然的な関連性はない。)と診断していないのであるから、これを前提とする検査義務、治療義務、転送義務、報告義務及び説明義務は存しない。

(二) 被告蒲池の責任について

被告蒲池の投薬は適量(リンコシンも当時は一回三〇〇〇ミリグラム使用されることも少なくなかった。)であり、スエ子の病名を非定型性の風疹と診断したことに過失がないのは被告西川におけるのと同様である。

また、スエ子を薬疹ないし顆粒球減少症と診断したことを前提とする検査義務(なお、被告蒲池は、右診断とは無関係に、スエ子の入院後直ちに検査を実施したが、その結果が判明する前に一方的にスエ子が退院したものである。)、治療義務、転送義務、説明義務は被告西川と同様その前提を欠き認められない。

4  被告両名の治療行為とスエ子の顆粒球減少症発症との因果関係について

被告両名のスエ子に対する抗生物質の投与がスエ子の顆粒球減少症の原因となったとは確定できない。

第三  当事者の提出、援用した証拠(省略)

理由

一  当事者について

請求原因第1項の事実は当事者間に争いがない。

二  診療経過について

成立に争いのない甲第一、第二号証、第三号証の一ないし四〇(但し、第三号証の二、四ないし八、九の二、一〇の書き込み部分を除く。)、第五一号証、乙第一号証の一ないし八、第二号証の一ないし一一、第四号証の一八、一九、証人原八洲雄の証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証、原告冨嶋克子本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第四号証(但し、後記信用しない部分を除く。)及び証人村上紘一、同山田寿美子、同岩本光恵、同原八洲雄、同井上国昭の各証言(但し、証人村上紘一、同山田寿美子、同岩本光恵の各証言中後記信用しない部分を除く。)、原告冨嶋茂、同冨嶋克子(第一回)、被告西川良平、同蒲池真澄各本人尋問の結果(但し、原告冨嶋茂、同冨嶋克子各本人尋問の結果中後記信用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができ、甲第四号証の記載、証人村上紘一、同山田寿美子、同岩本光恵の各証言、原告冨嶋茂、同冨嶋克子(第一回)各本人尋問の結果中右の認定に反する部分は前掲各証拠に照らし信用できず、他に右の認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  スエ子は、昭和五一年三月一四日頃から、発熱と喉の痛みを訴え始め、同月一七日に三八度乃至三九度の発熱をみたため、昭和四八年九月頃以来断続的に診察を受けていた被告西川の往診を受けた。被告西川は、発熱、咳、咽頭に発赤がみられ、喉の痛みが強い等の諸症状に加え、当時インフルエンザの流行期にあったこととも併せ考慮して、右症状をインフルエンザ由来の上気道炎と診断し、リンコマイシン系の抗生物質であるリンコシン六〇〇ミリグラム及び総合感冒薬オベロン〇・五ミリリットルを各筋肉注射(以下「筋注」という。)するとともに、内服薬として上気道炎一般に効能を有する抗生物質であるラリキシン(一日量=二五〇ミリグラムカプセル、四カプセル)及び消炎鎮痛剤ソランタール(一日量=一〇〇ミリグラム錠、四錠)を各二日分、その他複合トローチ一日分四錠、解熱鎮痛剤バファリン二錠、うがい用外用薬、湿布薬を各二日分(但し、バファリンは二回分)投与した。(但し、スエ子が昭和五一年三月一七日、三八度乃至三九度の発熱があって、被告西川の往診を受け、その後引続き同年四月一四日まで同被告による治療を受けたことは当事者間に争いがない。)

(二)  被告西川は、翌一八日もスエ子を往診し、リンコシン六〇〇ミリグラムとオベロン〇・五ミリリットルを各筋注するとともに、バファリン三回分を投与した。スエ子の症状は、熱が下り、調子が良く快方に向かっていた。翌一九日には、内服薬として、ラリキシン及びソランタール、総合胃散、うがい薬等を各三日分投与した。スエ子の当日の症状は、熱はなく、咳が軽く出ているだけであった。スエ子はその後自宅療養を続けたものの、微熱がとれず、身体の芯がなく、きついといってはほとんど床についている状態が続いていたが、同月二五日頃から四月五日にかけては、事務所で椅子に腰かけて従業員の指導ができるまで症状が軽快していた。しかし、咳及び身体がだるい感じは常に持続していた。

この間における被告西川によるスエ子の治療状況は次のとおりである。

(1)  同月二二日、来診したスエ子が腰痛等訴えたため、湿布薬の他、咳止めとしてフスタゾール(一日量=一〇ミリグラム錠、六錠)、サルファ剤ケルヘチーナ(一日量=一〇〇ミリグラム錠、六錠)を二日分投与。スエ子は快方に向かっており、もう少しで全快の状態。

(2)  同月二四日、スエ子の扁桃腺に炎症が認められるが、もう少しで全快の状態。ブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラムの静脈注射(以下「静注」という。)の外、湿布薬及びフスタゾール、ケルヘチーナ、トローチ各二日分(一日量は前同様。)投与。

(3)  同月二五日、ブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム筋注。スエ子は今日は調子はよいと応答。

(4)  同月二六日、ブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム静注の外、フスタゾール、ケルヘチーナ及びうがい薬各二日分投与。

(5)  同月二七日、ブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム静注。

(6)  同月二九日、ブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム静注の外、フスタゾール、ケルヘチーナ及びうがい薬各二日分投与。スエ子の症状はもう少しで全快の状態。

(7)  同月三〇日及び三一日、各ブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム静注。

(8)  四月一日、ブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム静注の外、フスタゾール及びケルヘチーナ各二日分投与。スエ子の状態は順調であるが咳が少しあり。

(9)  四月二日及び三日、ブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム静注。スエ子の症状として咳は出ていなかった。

(三)  四月五日、午前中スエ子は被告西川を受診して前同様ブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラムの静注を受けたものの、その後発熱(三八度)したため、同日午後再度被告西川を受診し、同被告はスエ子に対し、前記総合感冒薬オベロン〇・六ミリリットルを筋注の外、内服薬として従前使用してきたラリキシン、ソランタール、ケルヘチーナ等に代えて、上気道炎等細菌に効能を有する合成ペニシリン製剤であるソルシリン(一日量=四カプセル)及び発熱、疼痛、鼻症状等感冒の初期症状の改善に効能を有する総合感冒剤PL顆粒(一日量=一グラム包四回服用)を各二日分並びに解熱鎮痛剤グリンケン顆粒〇・六グラム包三包を投与したところ、翌六日には熱が引くなど症状の改善がみられ、被告西川はスエ子に対し、オベロン〇・六ミリリットル筋注、ブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム静注した。

同月七日、来診したスエ子は、両肩の痛みと咳が少々ある旨訴えたので、被告西川はスエ子に対し、ブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム静注の外前同様ソルシリン及びPL顆粒各二日分、湿布薬を投与し、以後も同様の症状が続いたので同月八日、ブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム静注、同月九日、同静注の外PL顆粒三日分を投与するなどの治療を続けた。

(四)  同月一〇日、来診したスエ子が、熱は無いが、咳がひどい旨訴えたので、被告西川は、前同様のブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム静注の外内服薬として、鎮咳、去痰剤濃厚ブロチンコデイン液(一日量=六ミリリットル)及び発熱を伴う呼吸器感染症等に効能を有するネオマイゾン(チアンフェニコール製剤)(一日量=二五〇ミリグラムカプセル、四カプセル)を各二日分並びに前同様の湿布薬を投与した。

(五)  同月一二日及び一三日とスエ子は被告西川を受診し、同被告は、同月一二日にはブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム静注の外、内服薬として濃厚ブロチンコデイン液及びネオマイゾン各二日分(一日量前同様)並びに湿布薬とうがい薬を投与し、同月一三日にはブドウ糖+アリナミンF一〇ミリグラム静注のみ施した。

スエ子は、被告西川の治療にもかかわらず、喉の痛みがとれないので同月一二日、耳鼻咽喉科の原八洲雄医師のもとへも通院し始め、同医師の初診時三七・二度の発熱とともに喉部に発赤が認められたこと等から同医師は漫性咽喉頭炎と診断し、その治療〔喉頭にルゴールを塗り、ビスタマイシン(抗生物質)及びデクタン(副腎皮質ホルモン)投与〕を施したが同医師はスエ子の症状に重症感を抱くことはなかった。翌一三日には、発熱等の症状が長期間持続していることから腎臓疾患との疑いもあったため、検尿を実施したが異常は認められなかった。

一方、この間、同月一一日ころからスエ子の背中や手に麻疹様の発疹が生じたが、スエ子は被告西川及び右原医師受診に際しては、右発疹が生じていることを告げず、被告西川及び原医師はともに右発疹の存在には気づかなかった。

(六)  同月一四日、スエ子は右発疹の症状がひどくなったため、その旨被告西川に訴え、同被告が診察したところ、スエ子の両手、胸、背中等に薄赤い、粟粒大以下の発疹が認められたものの、水疱は見られず、熱は無く、血圧は一二〇ないし八〇と正常であり、かゆみが少々ある程度のもので重症感はなかった。

被告西川は、右発疹についてじんま疹あるいは湿疹を疑うとともに、更に当時風疹が非常に流行中であったことから風疹あるいはそれまでの治療に使用していた薬剤の副作用としての薬疹である可能性も考えられ確定診断には至らなかった。そこで、被告西川は、薬疹の可能性もあることを考慮してそれまで使用していた前記薬剤の投与を中止するとともにアレルギー疾患、じんま疹、湿疹、薬物過敏症等に効能を有する抗アレルギー剤である強力ネオミノファーゲンC液二〇ミリリットルを注射し、じん麻疹、湿疹、薬物反応等に効能を有する副腎皮質ホルモン・抗ヒスタミン剤複合剤であるセレスタミン錠及びかゆみ止めとしてオイラックス軟膏を投与するなど右発疹に対する一応の治療を実施したうえ、右発疹の原因がはっきりしないため念のため他病院への検査入院を勧めたが、スエ子が拒否的態度を示すので家族と相談するよう話して同人を帰宅させた。スエ子は、被告西川の治療が終った後、前記原医師を訪ね、右症状を訴えたところ、同医師からも総合病院で検査を受けることを勧められた。スエ子は帰宅して横になったが苦しいので原告らと相談のうえ、国立病院に入院することに決め、原告方の従業員を被告西川のもとに使いにやって、国立病院への紹介を依頼した。被告西川は、前記のとおり、スエ子の症状について確定診断に至らないため、検査と治療を依頼するとともに、右発疹が薬疹である場合のことも慮ってこれまでの治療経過、投薬状況等を記載した国立病院宛の紹介状を作成のうえ、右使いの者にこれを交付した。しかし、その後、原告らからスエ子の不安感が強く、すぐに入院したい旨の再度の依頼がなされたため、同被告は山の田医療センター等に電話照会したが、当日は国立病院はじめ総合病院からいずれも受入れを拒否されたので、知り合いの西尾医院かカマチ病院(外科医だが九州大学の小児科の経験もある。)なら紹介できる旨伝えたところ、スエ子や原告らは、総合病院でないことから不安感を抱いたが、明朝すぐに国立病院に変わればよいと考えて、カマチ病院への紹介を依頼することとした。そこで、被告西川は、カマチ病院に電話して、被告蒲池に対し、スエ子は国立病院入院希望であるが入院できないこと、症状は風疹のようでひどくは無いが、神経質な患者で不安感が強いようなので国立病院へ転院できるまで預ってくれるよう依頼したところ、被告蒲池はこれを了解した。被告西川は右使いの者にその旨伝え、カマチ病院へ行って、国立病院宛の紹介状を渡すよう伝えて、スエ子のカマチ病院入院の手はずを整えた。(但し、被告西川が昭和五一年三月一七日から同年四月一四日までにスエ子に対し、別紙「投薬状況一覧表」記載のとおり薬剤を投与したことは当事者間に争いがない。)

(七)  被告蒲池は、同日午後四時二〇分、スエ子が原告らに伴われて入院のため来院したので、診察の結果、ほぼ全身に瀰慢性の薄赤い粟粒大の発疹(水疱なし)が認められたことに加え、当時風疹が非常に流行していたことから、風疹の可能性が最も高いと判断したものの、スエ子の症状から風邪をこじらせて弱っている状況も窺われたため、感染症の存在をも疑い、さらに、右発疹がペニシリン疹にも似ていることからペニシリンの使用をせず、前記抗生物質製剤リンコシン六〇〇ミリグラムの筋注をした後、同日午後四時三〇分、入院の際、一般的に行なわれる肝機能、血計及び血沈の各検査のための採血を行った。(右検査の結果は、スエ子の退院後に判明したが、それによると、右採血時スエ子の抹消血中の白血球数は二八〇〇/mm3であり、正常値(四〇〇〇ないし八〇〇〇)に比し減少が認められた。)

なお、右入院時のスエ子の状態は全身に発疹が認められ、全身の掻痒感はないが、時々動悸あり、少々イガイガした感じがする旨訴えるものの、顔色は普通で体温三五度五分、脈拍八二回/分、不整脈なし、血圧一二四ないし七〇、食欲不良なるも栄養状態は良好で、身長一五八センチメートル、体重六八キログラムというもので、同病院の四階にある病室まで独りで歩いて上るなど特別の重症感は認められなかった。

その後、同日午後七時、翌一五日午前零時、午前六時にそれぞれ被告蒲池の指示に基づき看護婦により右リンコシン六〇〇ミリグラムの筋注がなされた。翌一五日午前七時、血圧一四二ないし九〇、脈拍数七二回/分、体温三六度三分であり、被告蒲池は同日午前九時スエ子を回診したが、前日と特に症状の変化はなかったため、看護婦に対し、前日同様リンコシン注射及びその他一般的検査として胸部のX線写真の撮影及びECD(心電図)を指示し、右指示に基づき同日中に右各検査がなされ、同日正午、午後六時、翌一六日午前零時、午前六時にスエ子に対し、各リンコシン六〇〇ミリグラムの筋注がなされた。

同月一五日朝、原告克子が被告西川を訪れ、今日は国立病院へ転院するはずであった旨訴えるとともに、カマチ病院では病人(スエ子)が誰れも診てくれず、注射を射つと苦しいと言うので点滴に変えてもらえないか等とカマチ病院における治療に対し、不信を示したので、被告西川はこれをなだめるためカマチ病院に入院中のスエ子を往診する旨約束し、同日午後零時過ぎ、カマチ病院に赴き、被告蒲池とともにスエ子を診察したが、スエ子は面会者と雑談するなどしていたうえに、発疹の状態も前日より薄くなり、多少良くなっているように見えるなどスエ子の症状に特に変化がみられなかったことから往診を終わった。

同月一六日午前六時三〇分、スエ子の状態は、血圧一二四ないし七〇、脈拍数七四回/分、体温三六度七分であり、看護婦に対し、発疹あり、掻痒感軽度のため気分が少し悪い、痛みはないが、咳が出て眠れなかった旨訴えた以外特に異常は認められなかった。

同日午前八時三〇分過ぎ頃、回診中に無断退院しようとするスエ子らを見かけた被告蒲池は原告らと若干押し問答したものの、原告らが国立病院への紹介状を要求したので、これを容れてスエ子の症状を非定型的ながら風疹ではないかと考えている旨記載した国立病院内科外来宛の紹介状を作成して原告らに交付した。

その結果、同日午前九時にスエ子はカマチ病院を退院した。(但し、スエ子が昭和五一年四月一四日午後カマチ病院へ入院し、同月一六日まで同病院で治療を受けたこと、被告蒲池が、スエ子に対し、別紙「投薬状況一覧表」記載のとおり薬剤を投与したこと、被告蒲池がスエ子の症状を非定型風疹と診断していたことは当事者間に争いがない。)

(八)  その後直ちに、スエ子は国立病院内科外来に赴き、医師の診断を受けた後、同日午前一一時三〇分、同病院に入院した。主治医となった同病院内科の村上紘一医師は、スエ子の全身に認められた発疹が通常の風疹の場合に認められる点状発疹とは異なり、赤色癒合性発疹であったこと、スエ子が長期間被告西川の治療により薬剤の投与を受けていたこと等から、スエ子の発疹を中毒性と診断して、これに対する治療を開始した。同日入院時の一般検査としてスエ子から採血のうえ血液形態学的検査を実施したところ、抹消血中の白血球数が一八〇〇/mm3と正常値に比し顕著な減少が認められたことなどから無顆粒球症との検査結果が得られた。

同月一九日、右検査結果に接した村上医師は直ちにスエ子の骨髄像検査を実施した結果、骨髄に強い低形成がみられ、特に顆粒球中好中球系の細胞の減少が著明でほとんど消失していることなどの検査結果から、スエ子が顆粒球減少症であるとの確定診断に至り、感染症防止のためできる限り無菌措置を行ない、面会人を制限し、付添者にも手洗い、マスク使用等の指示をするとともに、翌二〇日から新鮮血の輸血、積極的な副腎皮質ステロイド剤の投与等の治療を始めた。同日実施の血液形態学的検査及び静脈血培養検査の結果、抹消血中の白血球数は七〇〇/mm3と更に減少しており、しかも血液中にグラム陰性桿菌が検出されたうえに、同月一九日以来四〇度前後の高熱が続いていることなどから、顆粒球減少症の結果敗血症を併発していることが判明した。

右治療にもかかわらず、スエ子の高熱は続き、同月二〇日午後一〇時二〇分には呼吸困難を訴えたため酸素吸入を開始するなどした。その後、スエ子の病状は一進一退を続けたものの、同月二三日午前八時五五分、敗血症に基づく内毒素性ショックにより死亡した。(但し、スエ子が昭和五一年四月一六日国立病院へ転院したこと、スエ子が右以降国立病院で治療を受けたが、同年四月二三日同病院にて顆粒球減少症による敗血症に基づく内毒素性ショックにより死亡したことは当事者間に争いがない。)

なお、カマチ病院から転送されたスエ子を診断・治療した国立病院の医師である証人村上紘一の証言によれば、同医師は同月一六日スエ子の血液検査の結果を知り、その他の症状を合せてスエ子が顆粒球減少症であるとの診断をし、その治療に入ったと記憶しているというのであり、同医師がこれから予想される事態につき指示した事項を看護婦が記載したという看護記録(成立に争いのない甲第三号証の二九ないし四〇)にも、目標として、細菌感染を防ぐため頻回の口腔内清拭を行い、呼吸困難に対して呼吸状態、チアノーゼ等の観察を行い、酸素吸入、気道の確保、救急トレイの準備、気管切開トレイの準備といった重篤な患者に対する備えがなされているのであるが、前叙のとおり、同日のスエ子の状態は、全身に発疹があった他は熱と咳がみられたくらいで、同医師にも外見上はそう悪くないように見えたというのであるから、右の看護婦に対する指示が同日なされたとするのは不自然の観を免れないこと、更に、右の指示事項にある呼吸状態、チアノーゼの観察、口腔内の清拭等が実施され始めたのは同月二〇日になってからであること、前記のとおり、血液形態的検査の結果判明した無顆粒球症との検査結果を確かめるべく骨髄像検査を行ったのが同月一九日であることから判断すれば、同医師がスエ子を顆粒球減少症であると診断したのは同月一九日のことと思われる。

三  被告両名の責任について

1  債務不履行責任

(一)  診療契約の締結

スエ子が昭和五一年三月一七日、被告西川との間で、同年四月一四日には被告蒲池との間で、原告両名主張の内容の診療契約を締結した事実は当事者間に争いがない。

(二)  医学的知見

成立に争いのない甲第六号証ないし第四二号証、第四五号証ないし第四七号証、第四九、第五〇号証、第五三号証ないし第五五号証、第六三号証、乙第四号証の一ないし一七、第五号証の一・二、第六号証ないし第一二号証及び証人村上紘一、同井上国昭の各証言、被告両名本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば以下のとおり認められる。

(1) 顆粒球減少症

顆粒球減少症の成因は多数考えられ、その分類方法はまだ確立していないが、主要な成因は、<1>アレルギー性顆粒球減少症、<2>自己及び同種抗体による免疫顆粒球減少症、<3>中毒性顆粒球減少症、<4>その他に分けられ、個々の症例において、これらの成因を決定することは困難なことが多い。

(2) アレルギー性顆粒球減少症

本症は急激に発病する重篤な疾患で、顆粒球の著明な減少が主要な病因であって、高熱と粘膜の壊死を特徴とする疾患である。

女性、ことに中年に多く、発病はほとんど例外なく急激で前駆症状を認めない。初発症状は発熱で悪感戦慄を伴うことが多く、それに続いて急速に患者は重症感にとらわれ、全身衰弱、頭痛、悪心、嘔吐、関節痛、四肢痛、疼痛性腸痙攣をきたし、続いて頻脈、呼吸困難が現われ、ショック状態に陥ることがある。特徴的な所見は粘膜壊死であり、ことに口腔粘膜なかんずく扁桃を好んでおかし、これを顆粒球減少性扁桃炎という。しかしながら、この疾患の初発症状は、他の種々の疾患と非常に近似しているため、診断が早期に確立することは困難なことが多い。

白血球数は著明に減少し、一般に二〇〇〇/mm3以下のことが多く、減少するのは顆粒球で、特に好中球と好塩基球が減少し、好酸球は不変のことが多い。疾患の重症度及び時期により骨髄所見は一定しない。有核細胞数は減少することが多く、定型的な症例では成熟好中球及び後骨髄球の減少がみられる。そのほか、前骨髄球の段階で成熟が抑制されている型、顆粒球系細胞がほとんど全くみられない型もある。高熱、口内炎などの臨床症状、発病前に薬物を投与されていること、著明な顆粒球減少を伴う白血球減少の血液所見から本症の診断は可能である。

本症の経過は、最もしばしばみられる急性型では経過は極めて速やかで、数時間から二、三日で症状が出揃う。今日でも一〇ないし三〇パーセントの高い死亡率を示し、また患者が既往に照射、抗腫瘍剤、重症感染などによって骨髄を障害されたことがあるか否かによって、予後に相違がみられ、かかる既往を有する患者では、多くは一過性に改善を示した後、錯乱状態、黄疸、皮膚壊死、一〇〇〇/mm3以下の赤血球減少、顆粒球の完全な消失など極めて重篤な症状の発現とともに死の転帰をとる。本症の直接死因は敗血症、肺炎、壊死組織からの出血などである。

急性型のほかに慢性に経過する型もみられ、この型では発病の時期ははっきりせず、全身倦怠感、嘔気、不眠、微熱など不定の症状がみられる。血液所見では白血球減少を認めるが、このほかに普段は白血球数が正常で、時々急激に顆粒球減少を繰り返し、稀には死亡する型もある。

本症は、アミノピリン、フェナセチン、フェニルブタゾン等の鎮痛剤、ペニシリン、ストレプトマイシン、クロラムフェニコール、テトラサイクリン、ノボビオシン・セファロスポリン、サルファ剤、アルゼノベンゾール、サルバルサン、金製剤、キノホルム等の抗生物質等種々の薬剤により発生し、最も頻度の高いのはアミノピリンによる顆粒球減少症である。アレルギー製顆粒球減少症は本症をひきおこす薬剤の第一回の服用では通常発生せず、同薬剤で感作されることが必要である。疾患の重症度と投与された薬剤の用量との間に相関はみられず、ごく少量でも重篤なことがある。

本症の治療は、まず第一に本症をひきおこした薬剤あるいは物質の投与を直ちに中止したうえ、感染症に対処するため抗生物質を十分量使用する。感染症の徴候が認められない場合は従前使用の抗生物質の使用を中止すれば回復する場合もある。そして、アレルギー性顆粒球減少症は、抗原抗体反応によって発生するので、薬剤の構造式、系列が異なると発生しにくいと考えられる。この際、咽頭、喀痰、尿などの培養を行なって、菌に対する感受性を調べてから投与すべき抗生物質を決定するのが理想的であるが、急激に進行する症例では感受性テストの結果を待っている余裕がないので、この場合には抗菌スペクトルが広く、骨髄障害の少ない薬剤、たとえば合成ペニシリン、セファロスポリン系の薬剤を投与すべきで、クロラムフェニコールなどの骨髄に傷害的に働く薬剤の使用は避けるべきである。但し、同症に対する治療用として用いられる抗生物質によってさらに重篤になる場合もあるし、稀には副腎皮質ホルモンで発生したという例もある。

感染症に対処するため、抗生物質を投与すれば、次に副腎皮質ステロイド剤を投与する。これは本症の原因となる免疫学的機序を抑制するばかりでなく、全身状態の改善にも有効に働き、血液像も速やかに好転することが多い。投与量はプレドニソロン換算三〇ないし六〇mg/日。重症型には新鮮血輸血を反復して行なう必要がある。そのほか一般的治療として口腔内を清潔に保つことが大切で、特に粘膜潰瘍があればこれの処置を行う。一度本症に罹患したことのある者には薬剤の投与は慎重でなければならない。疑わしい患者の場合には白血球数を頻回に測定し、ごく軽度であっても顆粒球減少症を思わせる症状が現れた場合には直ちに薬剤投与を中止する。

(3) 薬疹

薬剤の副作用として生ずる発疹のことで、発症機序はアレルギーによる場合が多い。薬疹の疹型は甚だ多種であるので、薬剤の投与中に発疹を新生、再発したら薬疹を念頭におくことが必要である。薬疹は軽症のものは色素斑を一個生ずる程度であるが、重症型には全身に水疱を生じて数日で死亡するものもあり、また皮疹と同時かやや遅れて肝炎、顆粒球減少症、心炎などを進行性に合併してくる多臓器障害型も存する。土曜日には軽症であったが、月曜日には重症、入院といった例も稀ではない。アレルギーの場合には、前回投薬時には異常がないか、軽症であったのに、次回投薬時には重症型になることさえあるので注意を要する。

薬疹の疑いをもったら、原則としてそれを取り去ったら死亡する可能性のある薬剤一、二種を除いて全投薬を中止するのがよく、これら不可欠の薬物もできうれば別構造のものに変更する。抹消血、肝機能一式、尿一般検査を行って、多臓器障害を見おとさないことも必要である。

(4) 風疹

麻疹に似た発疹と全身ことに頸部、項部などのリンパ節腫脹をきたす急性ウイルス性疾患である。突然、麻疹に似た発疹で始まることが多く、発疹はまず顔面や頸部などに出現し、二四時間位の間に全身に広がる。個々の紅斑は麻疹に比べてやや小さく、色も淡いのが普通である。二、三日で消退し、その後には色素沈着を残さない。重要な症状の一つとしてリンパ節腫脹がみられ、発疹の出現より、三、四日先行することもあるが、このような症状の出ないものもある。これは、耳後部、頸部、項部に比較的著明であるが、全身に及び発疹の消退後も数日間は持続、軽い痛みを伴うことがある。発熱は必発ではなく、認めても軽いことが多い。麻疹、突発性発疹、薬疹等と風疹、とりわけ、薬疹と非定型性の風疹との区別は困難であるが、その鑑別診断の要点は、流行状況、軽症麻疹様症状、リンパ節腫脹、血液形質細胞の増加等である。

(三)  スエ子の顆粒球減少症の罹患時期

(1) 前記認定事実及び被告西川良平本人尋問の結果によれば、本件でスエ子の死因として最も可能性の高いのはアレルギー性顆粒球減少症と考えられるところ、同症は急激に発病する疾患で罹患から数時間から二、三日で症状が出揃うことが多いこと、白血球の寿命は末梢血中では約半日間、組織中でも約数日間であることが認められる。

(2) 本件では前記認定のとおり、スエ子の白血球数は、昭和五一年四月一四日午後四時三〇分ころ、二八〇〇/mm3、同月一六日には一八〇〇/mm3、同月二〇日には七〇〇/mm3であり、正常数四〇〇〇ないし八〇〇〇/mm3に比較して急激に減少し、しかも同月一六日には顆粒球中の好中球が零値を示したというのであるから、おそくとも同月一四日ころには顆粒球減少症に罹患したものということができる。

(四)  顆粒球減少症発症の原因

(1) 前記認定事実及び証人村上紘一、同井上国昭の各証言によれば、被告西川は昭和五一年三月一七日から同年四月一四日にかけて、顆粒球減少症の副作用が考えられるリンコシン、ラリキシン、ソルシリン、オベロン、グリンケンH、ケルヘチーナ、PL顆粒、ネオマイゾン等を別紙投薬状況一覧表記載のとおりスエ子に投与していること、特に、ネオマイゾンはチアンフェニコール製剤の商品名で、チアンフェニコールは薬物過敏症によるアレルギー性顆粒球減少症を惹起する代表的な薬物の一つとされていること、アレルギー性顆粒球減少症はその発症機序として抗原抗体反応による免疫学的な機序が知られており、疾患の重症度と投与された薬剤の用量との間に相関はみられず、ごく少量でも重篤なことがあること、薬剤投与に伴うアレルギーの薬疹ともその発症機序を同じくしていることから顆粒球減少症に伴って薬疹が認められることがあること、スエ子がネオマイゾンの服用はじめた日の翌日である同月一一日ころからスエ子の背中や手に発疹が生じはじめ、同月一六日には右発疹は赤色癒合性の発疹となっており、同日スエ子を診断した国立病院の医師は、右発疹を薬疹と診断したこと、被告蒲池も別紙投薬状況一覧表記載のとおり、スエ子に対し、同月一四日及び一五日に顆粒球減少症の副作用が考えられるリンコシンの筋注をなしていること、スエ子の末梢血中の白血球数は、正常値が四〇〇〇ないし八〇〇〇/mm3とされるのに比し、同月一四日には、二八〇〇/mm3と既に減少を示していたばかりでなく、その後も同月一六日には一八〇〇/mm3、同月二〇日には七〇〇/mm3と急激な減少を示し、しかも同月一六日実施の血液形態学的検査によれば、顆粒球中の好中球が零値を示し、顆粒球減少症との検査結果が得られていることが認められる。

(2) しかし、他方、前記認定事実及び前記甲第六号証ないし第四二号証、乙第四号証の一ないし一七、第六号証ないし第一二号証によれば、被告西川及び同蒲池が昭和五一年三月一七日から同年四月一四日までの間に投与した薬剤のうち顆粒球減少症の副作用が考えられるものもその発症率はネオマイゾンを除き〇・一パーセント以下にすぎず、最も高率のネオマイゾンでも発症率は〇・一ないし五パーセント以下であること、右薬剤の投与量も一般に許された範囲内であること(ネオマイゾンも四日間投与されたにすぎない。)、スエ子はこれまで薬剤に過敏に反応した例はないこと、顆粒球減少症の成因としてはアレルギー性以外にも中毒性その他の原因が考えられ、スエ子の場合が如何なる原因によるものかは確定できないこと、アレルギー性の顆粒球減少症も必ずしもその発症機序は明らかではなく、同症に対する治療剤として用いられる抗生物質によってさらに重篤になったり、副腎皮質ホルモンで発症することまであること、スエ子が国立病院入院後に投与されたインダシンでさえ白血球減少などの血液障害の副作用が考えられると効能書に記載されていること、スエ子の顆粒球減少症発症の時期は、末梢血中の白血球の寿命を考えると、被告西川の最終診療日である四月一四日かその前日ころと考えられ、発疹出現の時期とも必ずしも一致していないことが認められる。

(3) 前記(1)の事実を前記(2)の事実に照らして考えると、前記(1)の事実のみから被告西川あるいは被告蒲池の投与した薬剤のみによってスエ子の顆粒球減少症が発症あるいは増悪したものと推認できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

結局、本件全証拠によるもいかなる薬剤、成因によりスエ子の顆粒球減少症が発症あるいは増悪したか確定できないものといわなければならない。

(五)  被告西川の責任について

(1) まず、被告西川においてスエ子の顆粒球減少症罹患を予見することが可能であったか否かにつき検討する。

前記認定事実及び証人村上紘一、同井上国昭の各証言並びに被告西川、同蒲池各本人尋問の結果によれば、顆粒球減少症にはアレルギー性、中毒性その他の原因が考えられ、その成因を確定することは困難であること、このうち中毒性顆粒球減少症はそれ自体に骨髄細胞障害性を持つ薬剤により惹起されるもので、一定の量を使用し、一定期間使用を継続すれば誰にでも発症するものであるのに対し、アレルギー性顆粒球減少症は一種の抗原抗体反応であり、必らずしも薬剤の量や使用期間に関係しないこと、若干でも顆粒球減少症を起こしうる薬剤は相当数あるうえ、被告西川が昭和五一年三月一七日から四月一四日までに投与した薬剤の顆粒球減少症発症率は最大でも五パーセントにすぎず、投与量も過大とはいえないこと、被告西川は昭和四八年ころからスエ子を診察しているが、これまで同人が薬剤に過敏に反応した例はないこと、被告西川は、昭和五一年四月一四日にはじめてスエ子の発疹を認めたが、右発疹は同月一五日の時点でも水疱形成はなく、小指ないし親指大のものでもなく、薬疹に特有の形状ではなかったこと、当時下関市内では風疹が非常に流行しており、非定型性の風疹と薬疹との判別は困難であること、スエ子の発疹は風疹と薬疹の併存とも考えられること、スエ子の症状は、同月一六日午前カマチ病院を退院するまで顆粒球減少症の特有の症状である高熱の発生はなく、特に重篤な状態ではなかったことが認められ、これらの事実に、スエ子の発疹が薬疹であると診断した国立病院の村上医師においても、スエ子の血液形態学的検査結果を知った同月一九日に初めて顆粒球減少症であると診断したことを併せ考慮すれば、被告西川において、スエ子が顆粒球減少症に罹患することを予見することは困難であったと認めるのが相当である。

原告両名は、被告蒲池のカルテ(乙第二号証の一)に「PCチアンフェニコール使用のための医薬品による皮疹との診断(西川先生)にて」と記載されていることから被告西川はスエ子に薬疹が生じていることを知悉していた旨主張するが、右の記載が、いつ、どのような経緯により記載され、どのような意味を有しているのかについては、その記載者である被告蒲池においても記憶がなく、明確になし得ないが、前記のとおり、被告西川はスエ子の発疹が、風疹、薬疹、じんま疹、湿疹の何によるのか確定診断に至らず、疑問を付したままスエ子をカマチ病院に転送していること、被告蒲池も、スエ子を風疹であろうと診断したが、感染症或いはペニシリン疹の可能性も念頭に置いて検査・治療を進めていたことが認められ、これらによれば、前記カルテの記載内容のように被告西川がスエ子を転送する時点において、スエ子を薬疹と確定診断していたとは到底考えられないのであって、右記載は、スエ子の退院後何らかの経緯で記載されたものと認めるのが相当である。従って前記被告蒲池作成のカルテの記載にも拘わらず、被告西川がスエ子を薬疹と知悉し、或いは顆粒球減少症が生じていることを予見できたとも認められず、原告両名の右主張は採用できない。

(2) 過剰診療について

原告両名は、被告西川が昭和五一年三月一七日から同年四月一四日まで顆粒球減少症などの副作用を起こしうる抗生物質を連続的に投与したことをもって、被告西川の過失と主張するが、前記認定にかかる診療経過及び被告西川本人尋問の結果によれば、被告西川は当初スエ子の症状をインフルエンザ由来の上気道炎と診断し、前記認定にかかる効能を有する抗生物質等の薬剤を投与したものであって、その結果、スエ子の症状は一時的にも快方に向かっていたこと、被告西川が使用した抗生物質も通常用いられる性質及び量のもので格別副作用の発生率が高いものではないこと、スエ子に同一症状が続く場合には系統の異なる薬剤(たとえば、リンコシンに対し、ソルシリン、ソルシリンに対し、ネオマイゾン)を投与していること、被告西川がスエ子の発疹を認めた昭和五一年四月一四日以降は、薬疹の疑いも考慮に入れ、それまでの薬剤投与を全て中止していることが認められ、これらによれば、仮に被告西川の投与した何らかの薬剤がスエ子の顆粒球減少症に何らかの影響を与えていたとしても、被告西川に不必要な投薬等過剰診療を行なったという過失はないものというべきである。

(3) 臨床検査義務違反について

前記認定のとおり、被告西川が使用した抗生物質の中には、顆粒球減少症の副作用があるものがあるが、その発生率は最大のネオマイゾンでも五パーセント以下にすぎず、格別高くはないこと、ネオマイゾンもわずか四日間投与したにすぎないことに加え、スエ子の症状も一時的には快方に向かっており、四月一四日に至るまで何ら重篤な症状を呈したということもなかったのであるから、被告西川にスエ子の発疹を認める以前から顆粒球減少症を発症させる可能性のある薬剤を使用したからといって常に事後的に臨床検査をなすべき義務があったということはできず、この点に過失を認めることはできない。

(4) 発疹診断の過誤について

原告両名は、被告西川がスエ子の発疹を薬疹と診断せず、従って顆粒球減少症を予見しなかった点を過失と主張するが、被告西川がその診察時点において顆粒球減少症の発症を予見することが困難であったことは前記認定のとおりであり、さらに、前記認定事実によれば、被告西川は、スエ子の発疹を風疹の疑いが強いと判断したものの、薬疹も疑い、それまで投与していた薬剤の投与を全て中止し、抗アレルギー剤等を投与して右発疹に対する一応の治療を実施したというのであるから、被告西川に発疹診断の過失を認めることはできない。

(5) 顆粒球減少症の罹患予見を前提とする注意義務違反について

原告両名は、被告西川がスエ子の顆粒球減少症罹患予見を前提として各種義務違反を主張する。

しかしながら、被告西川がスエ子の顆粒球減少症罹患を予見することが困難であったことは前記認定のとおりであるうえ、前記認定事実によれば、発疹発見後直ちに発疹についての一応の治療をなし、西川医院には入院設備がないため総合病院への入院を勧めたものの、当時総合病院の受入れが困難であったところから、外科医ながら発疹及び風疹に比較的詳しい被告蒲池方への入院を勧め、入院の際、被告蒲池に対し、薬疹を慮って使用薬剤を知らせたうえ、風疹、薬疹等いずれか不明のため検査治療をなすよう依頼したというのであるから、被告西川の措置はいずれも各時点において適切であったというべきである。

また、被告西川がスエ子や原告らに対し、虚偽の説明をなしたことを認めるに足りる証拠はなく、この点にも過失を認めることはできない。

(六)  被告蒲池の責任について

(1) まず、被告蒲池によりスエ子の顆粒球減少症罹患を予見することが可能であったか否かについて検討する。

スエ子がカマチ病院に入院した昭和五一年四月一四日の時点で、被告蒲池がスエ子の顆粒球減少症罹患を予見することが困難であったことは被告西川におけるのと同様である。また、被告蒲池のカルテにおける「PCチアンフェニコール使用のための医薬品による皮疹との診断(西川先生)にて」との記載により被告蒲池が被告西川から入院の際、スエ子が薬疹である旨知らされていたとは認められないことも前記認定のとおりである。従って、当時の風疹の流行状況、非定型性風疹と薬疹との識別の困難さに加え、国立病院の村上医師においても、血液形態学的検査の結果を知った四月一九日にはじめてスエ子を顆粒球減少症と確定診断したことからすると、被告蒲池が血液検査の結果を知る前である同月一五、一六日の時点で、スエ子が同症に罹患していることを予見することは困難であったというべきである。

(2) 発疹診断の過誤について

被告蒲池がその診察時点において、スエ子の顆粒球減少症の発症を予見することが困難であったことは前記認定のとおりであり、さらに、前記認定事実によれば、被告蒲池はスエ子の発疹を風疹と診断したものの、ペニシリン疹にも似ていたことからペニシリン系の抗生物質の投与はせず、感染症を疑ってリンコシン(前記甲第九号証及び乙第四号証の一七によれば、薬品の効能書において、リンコシンは、白血球減少などの血液障害発症の可能性が国立病院において投与されたインダシンと同程度と記載されていることが認められる。)を投与したというのであるから、被告蒲池に発疹診断の過失を認めることはできない。

(3) 臨床検査義務違反について

被告蒲池がスエ子が入院した直後の昭和五一年四月一四日午後四時三〇分ころ採血し、血液検査をなしたことは前記認定のとおりであり、顆粒球減少症罹患の予見が困難で特にスエ子の症状が重篤でなかったこの時点において、さらに緊急の検査義務はなかった(証人井上国昭の証言によれば、国立病院でも血液検査結果が判明するのは採血後一ないし二日後であることが認められる。)というべきであり、スエ子が右検査結果が判明する以前に、カマチ病院からすすんで退院したというのであるから、被告蒲池に臨床検査義務違反がないのは明らかである。

(4) 適切な治療義務違反、転送義務違反について

原告両名は、被告蒲池がスエ子に薬疹が生じており、顆粒球減少症罹患の予見が可能であったことを前提に、適切な治療義務及び転送義務の違反があったと主張するが、被告蒲池に発疹診断の過誤はなく、顆粒球減少症の予見が困難であったことは前記認定のとおりであるからその前提を欠くうえ、スエ子が血液検査結果の判明する以前に退院していることからすると右の点に被告蒲池の過失を認めることはできない。

(5) 説明義務違反について

被告蒲池がスエ子の薬疹又は顆粒球減少症を知っていたにもかかわらず、スエ子や原告らに対し、虚偽の説明をなしたと認めるに足りる証拠はない。

(七)  まとめ

してみれば、被告両名には原告両名主張の診療契約上の過失があったと認めることはできず、他の診療契約上の過失を認めるに足りる証拠もない。

2  不法行為責任

以上のとおり、被告両名にはその診療上の過失が認められないから、被告両名は不法行為上の責任も負わないものというべきである。

四  結論

以上の次第で、原告両名の請求はその余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

投薬状況一覧表

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例